第100号 二〇〇七年五月二〇日

 

梟vs.雄鶏 思想の時代と対抗メディア 田畑 稔(1)
特集 思想の課題・思想の挑戦―季報『唯物論研究』100号に寄せる

 季報『唯物論研究』100号によせて 山本晴義(15)ドブロリューボフの今日的意義 横田三郎(18)哲学と“母もの” 鈴木 正(21)左翼内部の開かれた討論の場の積極的組織化を 橋本 剛(24)「オーウェルの年」(一九八四年)に寄稿して―本誌への感謝と若干の要望中野徹三(26)

侵略戦争のシンボルとしての「日の丸」 津田道夫(31)

二一世紀の資本主義批判の入口 西田照見(34)「思想としての憲法」によせて 松田 博(38)

グラムシ「知的モラル的改革」の文脈 小原耕一(42)

更に健闘を大藪龍介()廣松渉さんの言い遺されたこと、それを超える視界―本誌100号記念に寄せて 黒沢惟昭(48)

いまマルクス主義的唯物論に求められていること 島崎 隆(52)

次なる100号への期待 日山紀彦(54)

マルクスとアソシエーション論とグラムシ思想のアクチュアリティーに励まされて…しかし未だ道遠し!人々の内面や思想以前の泥臭い感情に大胆にも切り込もう! 丸山茂樹(56)

「自己責任」論を打ち破り「連帯」の思想を蘇らせる作業を 白川真澄(58)

「旗」と「萃点」 生駒 敬(61)マルクスの物質概念と「世界史の方向感覚」 小野正嗣(63)

200号を展望して 服部健二(66)唯物論の相対化   やすいゆたか(68)

マルクシズムか?、「丸く沈む」か! 室伏志畔(71)金融資本のアレゴリー 倉橋克禎(73)

私的回想雑記 平等文博(77) 季報『唯物論研究』100号に寄せて 木村倫幸(80)

親密性、開放性、多様性 宇仁宏幸(82)編集部の思い出 稲岡義朗(85)

私と本誌のこの10年、そして今後 山口 協(87)
季報『唯物論研究』総目次―創刊号から100号まで     (i~xlii)
論文ほか

 「心理主義」の流行とカウンセリング―心理療法の是非をめぐる問題島崎 隆(91)

中国人類学における「本土化」の動向―一九八〇年代以降の指針と実践河合洋尚(107)
グラムシ「知的モラル的改革」関連ドキュメントエルネスト・ルナンのドイツ精神と歴史主義(下)―ジョルジュ・ソレルの未発表の論考ジョルジュ・ソレル/小原耕一訳(125)

劉奔(原 博昭)さんのご逝去を悼む   田畑 稔(140)
書評 粕谷信次『社会的企業が拓く市民的公共性の新次元』  佐藤浩一(143)

   片桐 薫『新グラムシ伝』 いいだもも(146)

   津田道夫編著『ある軍国教師の日記―民衆が戦争を支えた』 石塚正英(149)
大阪哲学学校のページ(152)/二一世紀研究会のページ(153)/新刊案内(154)季報『唯物論研究』案内(155)/編集後記 田畑 稔(156)

 

第101号 松田博責任編集号「グラムシ没後70周年」 

 

vs.雄鶏 田畑 稔 「グローバリゼーションとグラムシの目」(1)

特集 グラムシ没後70周年

 松田博「グラムシ研究の現代的課題によせて」(15)

 小原耕一「「市民社会」は国家のオルタナティブとなりうるか?」(24)

 斉藤日出治「ヘゲモニーと資本主義の統治様式―コーポラティズムからガバナンスへ」(38)

 高嶋正晴「グラムシアン・グローバリズムの最近の研究状況」(52)

 黒沢惟昭「市民的ヘゲモニーの形成-持田栄一氏の「批判教育計画」の再審」(62)

 鈴木正「受動的革命の影」(72)

 伊藤晃「受動革命のなかの労働運動」(82)

 丸山茂樹「ワーカーズ・コレクティブ運動とグラムシ思想-未来社会の原型としての労働者民主主義の現在」(93)

岩田 行雄「「レーニンとグラムシの会見」― 19221025日午後6時」(104)

エルネスト・ルナン 小原耕一訳「知的モラル的改革(上)」グラムシ「知的モラル的改革」関連ドキュメント(114)

Yuiken交差点

鷲田小弥太 100号記念号に寄せる「創刊時の思い出―田畑が年四本書くだけでも、と思えた」(129)

論文その他

投稿 内藤 酬「全共闘の思想性―絶対他力と自己否定」(131)

大藪龍介「明治国家論(5)」(144)

書評 上島武 小倉英敬『メキシコ時代のトロツキー 19371940』(156)

   丸山珪一 岩淵慶一『マルクスの疎外論』(158)

   田畑稔 大槻裕子『ゲーテとスピノザ主義』(162)

   添田馨 神山睦美『夏目漱石は思想家である』(164)

   西垣祐作 越境の会編 『越境としての古代 5』(167)

   江原裕美 西村俊一・正慶孝編著『日本人教育の条件-グローバル化と人間形成』(170)

大阪哲学学校のページ(173) 21世紀研究会のページ(174) 新刊案内(175) 

 季報『唯物論研究』案内(176) 編集後記(177)

 

 

 

第102号、二〇〇七年一一月三〇日

 

梟VS雄鳥 梅川邦夫 「老い」について(1)

特集 新メガと21世紀のマルクス

エンゲルス研究大村 泉 新 MEGA編集の現状と課題(7)

内田 弘 マルクスのアリストテレス『デ・アニマ』研究の問題像(21)

的場昭弘 マルクスの文体(33)

伊藤 武 『資本論』研究はメガに始まる(39)

元田厚生 資本制を乗り超えるアソシエーションとは何か(50)     

『資本論』結語に見るアソシエーションの三位一体 田畑 稔 

いわゆる『経済学・哲学草稿』の編集をめぐる論争経緯(70)

巻末資料 新メガ編集現況:既刊、作業中、刊行予定一覧(i~v)

yuiken交差点  宮前泰雄 狭山事件について(89)

論文ほか

 蘆田東一 吉本隆明「共同幻想論」についての困惑(93)

エルネスト・ルナン 小原耕一訳 知的モラル的改革(中)(1076)

大藪龍介 明治国家論(6)(127)

書評 大石高久 大谷禎之助編『21世紀のマルクス』(139)

   木村倫幸 小澤卓也『先住民と国民国家-中央アメリカのグローバルヒストリー』(142)

   室伏志畔 斉藤慎爾『暗愁は時空を超えて-五木寛之紀行』(146)
大阪哲学学校のページ(151)21世紀研究会のページ(152)新刊案内(153)季報『唯物論研究』案内(154)編集後記(160)

 

 

第103号 二〇〇八年二月
 

 

梟vs雄鶏 平等文博 宗教の現在と宗教批判の課題――本号の特集にあたって
特集 宗教の現在-宗教批判   自己批判の新たな課題 

高尾利数 世界における新しい宗教事情――キリスト教と仏教の場合 

橋野高明 ラテンアメリカ(中南米)の「解放の神学」――ブラジルでの展開を中心に見る

永井 務 現代アメリカの宗教事情 

稲岡義朗 仏教の可能性――「世間」を批判する仏教

高根英博 批判仏教が問いかけたもの

やすいゆたか 新宗教再生の試み

伊元 勇 ライフスタイルとしてのスピリチュアリズム

小沢牧子 現代の心理主義と宗教性

河合洋尚 移りゆく香港の風水言説(前)――民俗宗教から中国伝統生態科学へ

室伏志畔 天皇制と太陽信仰

田畑 稔 日常生活世界の中の宗教
追悼  

泊寛 二 片田さんの思い出

田畑 稔 本村四郎さん追悼
論文など

藤田隆正 経済的合理主義形成に果たした西ヨーロッパ中世都市の意義と役割――マックス・ウェーバーの場合

大石和雄 田畑氏の『マルクスと哲学』のコメント――「マルクス国家論の端初規定」を中心に-1大藪龍介 明治国家論(7)

エルネスト・ルナン/小原耕一訳 フランスにおける知的モラル的改革(下の1)
書評 木村倫幸 加藤昌彦著『水平社宣言起草者・西光万吉の戦後―非暴力政策を掲げつづけて』    室伏志畔 内倉武久著『卑弥呼と神武が明かす古代』
大阪哲学学校のページ 二一世紀研究会のページ 新刊案内 季報『唯物論研究』案内 編集後記

 

 

第104号 二〇〇八年五月

 

梟VS雄鶏 

巻頭特集リード

山本寛インタビュー アニメ批評家はまだ生まれていない 聞き手倉橋克禎+大久保ゆう
特集 アニメ批評のエクソダス
大久保ゆう ぼくとセカイのはじまるところ

倉橋克禎 アニメ批評宣言に向けて――時間の縮減の弁証法について

塩沢由典 トランス・ジャンル・クリティークに向けて

清水知子 ナチュラリストと〈漫画映画〉の時代――動物をめぐるトランスナショナルな想像力

更科修一郎 消費環境整備としての批評――ジャンルの最適化を抑止する批評の不可能性

高山 博 僕と君と美しきセカイ――アニメ主題歌批評試論

山本貴之 現代社会を反映するアニメ――“00”年代に求められる《自己変革‐教育》

沖本真也 CGアニメーションの現状と将来の可能性

十河にえ 萌えないゴミと萌えるゴミ――2007年のアニメ周辺を振り返る
巻末 アニメ批評地図 まっすぐな語りはどこにあるのか
 

 

小説 

松本弘也 合唱の森――1950年代記
論文など

 石崎恵二 憲法九条を活かす「無防備地域宣言」運動
yuiken交差点 

鈴木 正 政治と狂気とエロ――ある映画に寄せて
書評 高嶋正晴 松田博著『グラムシ思想の探究――ヘゲモニー・陣地戦・サバルタン』

   室伏志畔 篠田正浩/齋藤愼爾責任編集『阿久悠のいた時代――戦後歌謡曲史』

   村上隆夫 日山紀彦著『「抽象的人間労働論」の哲学――二一世紀・マルクス可能性の地平』      中村勝己 藤岡寛己著『原初的ファシズムの誕生――イタリア戦闘ファッシの結成』

   捧 堅二 アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京――第二次世界大戦の忘れられたホ        ロコースト』 巫召鴻著『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』
大阪哲学学校のページ 二一世紀研究会のページ 新刊案内 季報『唯物論研究』案内 編集後記

 

季報『唯物論研究』105号

 

巻頭エッセイ山口協 地球温暖化と洞爺湖G8サミット(1)
特集 21世紀の自然観と新しい生活実践
梅川邦夫 自然について―農業と教育に関連して(7)稲岡義朗 水俣―人間再生の聖地(14)大塚善樹 環境資本主義における食糧危機―遺伝子組換え作物からバイオ燃料へ(23)河野直践 農業再建と協同組合運動(35)小野 暸 複雑系と自然観の変革―差別と戦争なき文明を目指して(44)島崎 隆 「エコマルク主義」の現在と自然環境問題(60)韓 立新 「自然の支配」と「物質代謝」―エコロジー的視点から見たマルクスの「労働過程」における二重の論理(71)田上孝一 環境倫理学の焦点―人間と動物の関係を中心に(88)
交差点      鈴木 正 九条と一条―凝り固まった日本にしないために(101)
論文その他

 大藪龍介 明治国家論(8)(104)ルナン 知的モラル的改革(下の2)(115)
書評 松尾 匡 黒坂 真著『独裁体制の経済理論』(134)

   尾場瀬一郎 黒沢惟昭著『現代に生きるグラムシ―市民的ヘゲモニーの思想と現実』(138)   木村倫幸 鶴見俊輔著『アメリカ哲学』(141)

   室伏志畔 室伏哲郎著『ライバル日本美術史』(144)

   添田 馨 室伏志畔著『方法としての吉本隆明―大和から疑え』(147)

大阪哲学学校のページ(151)二一世紀研究会のページ(152)季報『唯物論研究』案内(153)編集後記(154)

 

106号

 

特集 メディアの変容と危機森潤・小嶋康生責任編集
巻頭エッセイ山本晴義 憲法とマスコミ――戦後マスコミ史素描(1)
座談会 今、マスコミは――問いなおす、知る権利と知らせる義務(13)出席者:森潤+松田士朗+政井孝道+小嶋康生+中川健一+喜多村俊樹
森  潤 あなたの読む新聞は、必要ですか――落日の活字メディアの甦りを願って(33)奥村 宏 マスメディアと株式会社の危機――企業と教育に関連して(40)政井孝道 「ウェブ・サイト・ニュース」の今後――紙の新聞は生き残れるか(49)中川健一 「沖縄密約文書」の情報開示を――情報犯罪許さず、知る権利拡大へ(57)喜多村俊樹 テレビはなぜつまらないのか(60)松田士朗 問い詰められた放送倫理――「放送表現・番組編集の自由」が危ない(64)永井芳和 考古学報道の問題(72)大西寿男 活字の再生と新しい「ことば」(77)李 相哲 ジャーナリズムは大衆を叱る勇気を――日本を幼稚にしているのは誰か(86)小嶋康生 直面する構造的危機――新聞産業論(90)
yuiken交差点 鈴木 正 ”ぜいたく”な哲学を守れ(105)和田龍三 地球温暖化論の混迷(107)
小説 松本弘也 小説「合唱の森―1950年代記」(2)(110)
論文など 山田正行 日本イデオロギーとしての「自由主義史観」の考察と課題(121)藤田隆正 マルクスの自然概念と風土的自然(1)唯物論的自然と絶対矛盾の論理(138)
書評 

 松田 博  加藤哲郎『ワイマール期ベルリンの日本人―洋行知識人の反帝ネットワーク』(145)

室伏志畔  齋藤愼爾『寂聴伝―良夜玲瓏』(148)

岩淵慶一  橋本剛『マルクスの人間主義―その根源性と普遍性』(150)

松岡鉄久  J・サルダー/B・ルーン『INTRODUCING メディア・スタディーズ』(161)

大阪哲学学校のページ(163)二一世紀研究会のページ(164)新刊案内(165)季報『唯物論研究』案内(166)編集後記(167)

 

 

107号 二〇〇九年2月

 
巻頭エッセイ 田畑稔 スピノザ――改宗でもなく自殺でもなく(1)

特集 ハーバーマスの挑戦と射程
粕谷信次 ハーバーマスの挑戦とハーバーマスへの挑戦:「連帯経済」体制の基礎づけのために(12)佐藤慶幸 ブルジョア・カテゴリーを越えた「市民社会」概念:ハーバーマスの場合(26)

木前利秋 自己反省の変容:ハーバーマスの隠れたキー概念(37)

仲正昌樹 ハーバマスとロールズ:普遍的「正義」の条件をめぐって(46)

永井務 アメリカ文化左翼とハーバーマス(58)

西川洋介 ハーバーマスにおけるアソシエーション概念:サベイ1981~1992(70)
yuiken交差点 鈴木 正 『転向再論』のあと考えたこと:リアルな事実とリベラルな理想(87)
批評 倉橋克禎  宇佐美圭司の絵画について 唯物論的批評(1)(89)
追悼 酒井一  追悼 砂場徹さん(93)
小説 松本弘也 合唱の森 1950年代記(最終回)(96)
論文 岩淵慶一 マルクス研究の発展のために:丸山珪一氏による拙著『マルクスの疎外論』批判へのリプライ(上)(105)

大藪龍介 明治国家論(9)(114)

藤田隆正 マルクスの自然概念と風土的自然(2)(125)
書評 木村倫幸  松尾匡『はだかの王様の経済学:現代人ためのマルクス再入門』(143)

   松岡利道  高根英博『斃れざる人々1 ローザ・ルクセンブルク』(146)

   竹内栄美子  志真斗美恵『ケーテ・コルヴィッツの肖像』(148)

 

大阪哲学学校のページ(151)新刊案内(152)季報『唯物論研究』案内(153)編集後記(154)

 

 

108号二〇〇八年

 

巻頭エッセイ田畑稔 「情報革命」とパースペクティブ(1)
ヴァーチャルなものと現代
村山 章 ヴァーチャルとは何か? そのメカニズムの解明(9)

Akira Janssen カリカチュア・イルストラシオン(24,34)

稲葉朋大 サイバーパンク運動・概要(30)
思想としての憲法第九条
松田 博 ヘゲモニー問題としての「九条」論(35)鈴木 正 私の日本国憲法「お守り袋」(1)(54)
メディア時評

 森 潤 北朝鮮ミサイル・衛星 報道――仮想敵視をあおったメディア 冷静さ欠く過剰反応の現場世代(60)
yuiken交差点

 宮前泰雄 狭山事件について (2)(62)

鈴木 正 雑感連鎖――大学よ、どこへゆく そして戦後民主主義の九条を守れ(63)
論文

 捧 堅二 支配とポリティーク――政治理論におけるマキャヴェッリとグラムシ(66)

内藤 酬 現代科学における場所論的転回――現代科学と西田哲学(83)

岩淵慶一 マルクス研究の発展のために:丸山珪一氏による拙著『マルクスの疎外論』批判へのリプライ(下)(95)
批評

 倉橋克禎 クリント・イーストウッド論序説――『チェンジリング』の赤い唇について(108)
書評 丸山珪一 伊藤成彦『ローザ・ルクセンブルク 思想案内』(118)

   梅川邦夫 やすいゆたか『梅原猛 聖徳太子の夢――スーパー歌舞伎・狂言の世界』(121)   政井孝道 永井芳和『大阪ジャーナリズムの系譜――西鶴・近松からネット時代へ』(125)
大阪哲学学校のページ(128)21世紀研究会のページ(129)新刊案内(130)季報『唯物論研究』案内(131)編集後記(132)

 

 

第109号 二〇〇九年八月

 

VS雄鶏 鈴木正 作品としての思想史――丸山真男の「内村鑑三と『非戦』の論理」をめぐって(1)

特集 現代日本の労働課程 

シンポジウム「労働の現場はどうなっているのか」

報告1 仲村実 労働の現場と管理職ユニオンの闘い………………9

報告2 伊田広行 「メディアに飲み込まれ管理された矮小な存在」から脱出する“労働”へ  

 ――ジェンダー秩序の視点も入れて………………16

報告3 橋口昌治 つながりの模索としての「若者の労働運動」  

――ユニオン・アソシエーション・コミュニティ………………26

報告4 脇田憲一 体験的労働過程論………………32

◎分析と批判

白井邦彦 非正規労働者増大の意味すること………………38

宇仁宏幸 日本製造業における労働過程の変化………………51

斎藤日出治 企業社会の転換と労働の変容………………61

鈴木和雄 接客労働過程論の展望………………71

平野啓 精神障害と「自己管理」………………82

メディア時評 

森 潤 核廃絶の「オバマ宣言」を検証

――被爆国のメディアは責務果たせ 核の傘は保有と同じだ………………103

yuiken交差点 

破偈否偈弥亭徹(中村徹)大変でした、今も大変です――腹部動脈瘤手術の経過………………105

論文 

河合洋尚 移りゆく香港の風水言説(後)………………110

大藪龍介 明治国家論(10)………………121

鈴木正 私の憲法第9条お守り袋(2)………………135

書評 室伏志畔 斎藤慎爾『ひばり伝―蒼穹流廸謫』………………

   木村倫幸 上野清士『ラス・カサスへの道――500年後の〈新世界〉を歩く』……………147

 

 

 

 

第110号 二〇〇九年一一月

 

VS雄鶏 山本晴義 河上肇とマルクスー河上肇生誕130周年に 1

特集「この一冊」Part1  5 

リード(田畑) 6

水田洋 ホッブズ『リヴァイアサン』 8

石塚正英 シャルル・ド=ブロス『フェティシュ諸神の崇拝』 11

豊田剛 カント『宗教論』 13

河上睦子 フォイエルバッハ『宗教の本質に関する講義』 17

丸山珪一 ドブロリューボフ「オブローモフ主義とは何か」 20 

宇仁宏幸 マルクス『資本論』 22

内田弘 石川啄木『啄木歌集』 24 

小嶋康生 河上肇『資本論入門』 28

山田正行 小林多喜二『党生活者』 32

大野篤一郎 ホイジンガ『明日の影のなかで』 35

綾目広治 サルトル『存在と無』 38 

石崎嘉彦 レオ・シュトラウス『僭主政治について』42 

武田信照 広津和郎『国民と裁判』 46

平野啓 フランツ・ファノン『地に呪われたる者』 50

森潤 松本清張『日本の黒い霧』 54

小野正嗣 森信成『マルクス主義と自由』 56

元田厚生 マンフォード『機械の神話』『都市の文化』 59 

石井 潔 アルチュセール『レーニンと哲学』62

柴田隆行 信太正三『禅と実存哲学』 65 

日山 紀彦 村上陽一郎『新しい科学論─事実は理論を倒せるか』 67 

大久保ゆう 柳父章『翻訳語成立事情』 73

細谷実 バダンテール『男は女、女は男』 76

深江 徹 アーヴィング・ステットナー『パラダイスの乞食たち』 78 

柏井宏之 金恩正・文●敏・金元容『東学農民革命100年』 81

和田龍三 高橋裕著 『河川にもっと自由を』 83

大西寿男 浅田修一・大澤恒保『ことばだけではさびしすぎる』 86

丸山茂樹 石堂清倫『20世紀の意味』 88

榎原均 ジョン・ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』93

米倉克良 C・ボルザガ/J.ドウフルニ『社会的企業―雇用・福祉のEUサードセクター』 96

松田 博 シャンタル・ムフ『政治的なものについて』 101

西田照見 寺岡衛・佐々木正修編『戦後左翼はなぜ解体したか』 105

白川真澄 湯浅 誠『反貧困』 107              

小野暸 村上春樹『1Q84』 111

論文

山田正行 日本イデオロギーにおける和辻哲郎の位置──広松渉との関連に即して〈前〉 118

インタビュー

ユルゲン・ローヤーン 聞き手/訳 田畑 稔 1844年のマルクスの「草稿」と「抜粋ノート」の編集をめぐって 130

書評 川本 隆 河上睦子『宗教批判と身体論──フォイエルバッハ 中・後期思想の研究』 145

   柴崎 律 津田道夫『君は日本国憲法を知っているか──焼け跡の記憶 1945-1946』 149

   神山睦美 室伏志畔『筑豊の黙示──〈非知〉への凝視』 151    

   高橋秀明 神山睦美『二十一世紀の戦争』 155

大阪哲学学校のぺージ 158

新刊案内 159

季報『唯物論研究』案内 160

編集後記 161