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140号出来!9月発売!

140号 哲学入門講義コレクション特集                            

巻頭エッセー 山口協

特集「哲学入門講義コレクション」

リード平等

平等文博「人として生きることと哲学すること」

三浦隆宏「砂漠のなかのオアシス――沖仲士の哲学者ホッファーとアーレントとの邂逅について」

大越愛子「フェミズム、ジェンダーの観点から「哲学」を語る」

細谷実「新自由主義の支配下で、仕事について考える」

河上睦子「〈食〉の哲学入門 孤食について哲学するー」

木村倫幸「共有の廊下・中庭の哲学──プラグマティズム哲学入門」

百木漠「ハンナ・アーレント――『全体主義の起源』と『人間の条件』を中心に」

藤田隆正「マルクス主義倫理学構築宣言――倫理学批判要綱」

田畑稔「「生活の吟味」としての哲学――『ソクラテスの弁明』を読む」

 

論文その他

立花晃「ルフェーブル再考~近代都市計画と新たな空間の生産を巡って(上)」

高橋一平「「四種」の神器説への道程」(11523

(次号送り)西田照見「マルクス的世界観から人類学的遠望へ」

 

Yuiken交差点

平等文博 「山本晴義さんを偲ぶ会」のご報告 

義積弘幸「私の死生観――この世からあの世へ」(下分載)

 

書評

木村倫幸 新藤謙『体感する戦争文学』

室伏志畔 添田馨『天皇陛下8・8ビデオメッセージの真実』

139号出来!6月発売!

139号目次

                           

巻頭エッセー 

三上晋 若き生活者たちに――学ぶことの意味について

特集▼ グラムシ没後80年:グラムシと現代世界、グラムシと私

1部エッセー

加藤哲郎「現代社会科学の一部となったグラムシ」

 

斎藤日出治「日本の国家犯罪をめぐるグローバル・ヘゲモニー闘争-グラムシで読む日本の危機」

伊藤晃「立憲国家に関するグラムシの立場」

鈴木敏正「「実践の哲学」から「実践の学」へ」

 

丸山茂樹「蘇るグラムシとポランニー――1人の夢はたんなる夢にすぎないが皆が見る夢は実現できる!」

 

黒沢惟昭「いま、何故グラムシか 明日への希望を求める人々へ」

藤岡寛己「グラムシ共産主義世代」

森川辰文「新しい君主」

鈴木正「私の中のグラムシ」

大石和雄「グラムシと戸坂潤—―「実践の哲学」受容の日本的思想土壌探索のために」

 

 

松田博「『獄中ノート』研究史」

小原耕一「グラムシにおけるレーニンの批判的読解――「陣地戦」の要素としての「受動的革命」と「市民社会」の両義性」

田畑稔「マルクス再読、『獄中ノート』、そして21世紀の現実――マルクス・グラムシ・ラインで考える」

 

(3)論文その他

日山紀彦「廣松「物象化論」の構図と論理」

大藪龍介「日本ファシズム論をめぐって」(五)

神山睦美「日本国憲法と本土決戦(下)」

やすいゆたか「歴史知を古代史に含めることの是非」

佃収「「貴国」がない「日本史」」(下)

 

(4)Yuiken交差点

義積弘幸「私の死生観――この世からあの世へ(上)」

 

(5)書評

高根英博 黒沢惟昭『グラムシの教育思想』シーエービー出版

森岡真史 村岡到『ソ連邦の崩壊と社会主義――ロシア革命100年を前に』

木村倫幸 横田三郎『現代人権教育の思想と源流──横田三郎コレクション』

 

138号出来!3月発売!

138号 目次

VS雄鶏 

日山紀彦「真冬の夜の悪夢この道はいつか来た道

特集「中間総括:市民の日本古代史研究」

I

古賀達也「「戦後型皇国史観」に抗する学問—―古田学派の運命と使命」

久保下多美子「東大阪市民による古代史講座の変遷と今後について」

原田実「「古田史学」の意義と継承――ドグマからロジックへ」

福永晋三「絶滅危惧種の九州王朝論」

室伏志畔「列島王権論の戦後展開—―比較・諸史論」

II

安本美典「唯物論と古代史研究」

壱岐一郎「中国3大資料無視のアカデミー批判

III

高橋通「倭国と大和王権の架け橋「倭国内ニニギ系王族—―応神・継体・上宮王・天武の出自を解く」 

佃収「「貴国」がない「日本史」—―「貴国」を知らずに「日本の歴史」は解明できない(上)」

内倉武久「古代天皇は北部九州にいた」

林順治「高松塚古墳の被葬者は誰か」

論文その他

永井務「資本主義の終焉とアメリカ大統領選挙」

宮地達夫「相模原障がい者殺傷事件と優性思想」

Yuiken交差点

鈴木正「丸山眞男との一期一会」

書評

添田馨 伊藤晃『「国民の天皇」論の系譜――象徴天皇制への道』

森田広造 綾目広治『教師像――文学に見る』

137号

季報『唯物論研究』137

VS雄鶏 

米倉克良「万国津梁型協同組合の可能性」

特集「今、思想に問われているもの:思想の現在、思想家たちの現在」

リード(田畑稔)「今、思想に問われているもの:問題提起」

 

百木漠「超現実主義の時代」

丹羽淳貴「内田樹にご用心」

 

内藤酬「戦後社会への呪詛――清水幾多郎と保田与重郎」

和田龍三「反原発の思想」

綾目広治「思想の現在柄谷行人とアソシエーション論」

境毅「共産主義のリニューアル」

 

村山章「思考と思想について考える」

吉田智弥「「慰安婦」問題に関する可逆的な論争を」

松田博「随想 グラムシ思想の探究によせて」

 

添田馨「反知性主義クーデターに抗する存在について今上天皇と〈象徴存在〉」

神山睦美日本国憲法と本土決戦(上)」

森田弘造「正木ひろし その思想と軌跡━戦時期の個人誌『近きより』に即して」

室伏志畔「方法としての谷川雁」

 

島崎隆「アドラー心理学の流行」

 

論文その他

対談:百木漠×中川寧越「余暇の未来」はどこにあるのか

書評 

中川寧越 細谷実[編著]中西親太郎、小園弥生[著]『仕事と就活の教養講座』

新刊案内

大塚忠広 横田三郎『現代人権教育の思想と源流~横田三郎コレクション』

136号

 梟vs雄鶏
永井務 2016年アメリカ大統領予備選挙………………………2


特集▼〈幸せ〉の吟味 
リード………………………8

第1部 自分を語る 
同級生対談 丹羽淳貴・岡部祐大
     幸せってなんだっけ、なんだっけ………………………10
瀬尾良郎 私の体の中にいるトータルキャピタル
     ——あるサラリーマンの回顧録………………………26 

第2部 エッセー 
ぺぺ長谷川 〈幸せ〉の吟味とダメ連………………………36
細谷 実 幸福主義の哲学と若い世代の幸福意識………………………38
中村りょう子 遊んでいる………………………41
矢板 進 幸福感とアソシエーション………………………46
森田弘造 清沢洌『暗黒日記』から逆照射する………………………50
伊藤幸生 「受動性」の観念で限界的不幸を乗り越える………………………54

第3部 論文 
平等文博 人間と幸福………………………58
藤田隆正 幸福と生きがいの根拠の
     かかわりを哲学するための試論………………………72
木村倫幸 ポジティブ心理学は、『幸せの科学』か?………………………82
若井貴史 認知行動療法による
     「幸せ」実現過程に関する一考察………………………92
捧 堅二 苦しみ、幸福、ショーペンハウアー………………………104
田畑 稔 幸福、または人生における価値の実現について
     ——幸福の構造、実質、技法………………………116

論文など
柴田隆行 フォイエルバッハの実践(6)——幸福を求めて………………………130
大藪龍介 日本ファシズム論をめぐって(三)………………………140 
 
yuiken交差点
鈴木正 弁証法談義アレコレ………………………152
岡和田晃 African  American  Against  the  Bomb
     と運動史の陥穽、〈核〉のイメージ批判について………………………154

書評 
室伏志畔 中原英著『古代湖「茂賀の浦」と「狗奴国」菊池』………………………159

最新号出来!134号2016年3月発行!

梟vs雄鶏

やすいゆたか SMAP騒動を契機にして人権と文化を守れ………………………2

特集▼私の余暇論

特集リード(百木漠)………………………8
百木漠 ケインズ「孫たちの世代の経済的可能性」から考える余暇論…………………
……10
間庭大  3・11以降の社会運動と余暇
     ——生活様式の危機を見据えて………………………22
中武題 暇と逃走………………………30
田中いくみ 働くだけでは満たされないもの………………………36
中川寧越 人間のための余暇・・ごく平凡な働き方のために………………………42
橋爪大輝 余暇・観想・思考
     ——アーレントにおける「観想」概念のゆくえ………………………52
立花晃 自由時間の生き方としてのクリエイティブ・クラス
    〜余暇と祝祭をめぐって〜………………………63





三好史織 作り手における余暇・自由時間と制作との関係について……………………
…78
澤田よしえ 私の考える余暇と先人の生活と余暇について………………………84
矢板進 詩の現場におけるアソシエーションの可能性に就いて
     —疎外論をヒントにしながら—………………………90

論文など

田畑稔 アソシエーションの理論と実践の前進へ………………………98
黒沢惟昭 現代市民社会とグラムシの教育思想
     M・マナコルダ『グラムシにおける教育原理
             —アメリカニズムと順応主義』に学ぶ(下)……………
…………114
松田博 グラムシ研究をめぐる課題と論点
    —鈴木富久氏との「誌上討論」について(小括)………………………128


yuiken交差点

鈴木正 資本主義と市民社会の値打ち………………………134
義積弘幸 私の『未成年』論—激動のロシア史の一齣 第二部を読む(第4回)……
…………………138


書評

山口拓美 内田弘『資本論のシンメトリー』………………………142
茂木政敏 神山睦美『サクリファイス』………………………146
川島祐一 やすいゆたか『千四百年の封印・・聖徳太子の謎に迫る』…………………
……149
松崎健一郎 室伏志畔『薬師寺の向こう側——南船北馬の王権興亡』…………………
……153
木村倫幸 神奈川新聞「時代の正体」取材班編
     『時代の正体——権力はかくも暴走する』………………………156

 

 

 

 

133号 2015年11月

133号目次

 

VS雄鶏

室伏志畔「大和から疑え」

 

特集「私の発言:敗戦・戦後70年を機に」(50音順)

綾目広治「危険水域に入りつつある日本最近作の小説から」

荒巻共三「戦後70年に想うこと:かつて三池炭鉱があった大牟田の一市民」

梅川邦夫「戦後70年を生きて」 

小野正嗣「戦争が廊下の奥に立っていた」

柏井宏之「私にとってのアジア」

上島武「「謝罪」と「反省」」 

神山睦美「大戦後七〇年を象徴するもの」    

木村勲「君死に給うことなかれ・幻想——なぜそれは反戦詩になったか」 

木村倫幸「敗戦・戦後七〇年とわれわれの視点の枠」

佐野米子「誰も殺さず、自分も死なず」

柴田隆行「「戦後」のない戦後七〇年——日本のハンセン病」

柴山健太郎「科学的歴史観なき平和大国の重大な岐路」

添田馨「〝二〇一五年安保闘争〟と「戦後七〇年」——学生集団SEALDsが果たした役割」

武田信照「60年安保闘争の経験と集団的自衛権 」

内藤酬「核なき世界への出口を求めて——ヒロシマ・ナガサキから七〇年、フクシマをこえて」

西村好子「戦後世代の戦争文学『指の骨』と亡父の戦争」          

日野範之「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。——佛教者の戦争責任」

松田博「「主語漂流」を超えて「戦後70年」断想」

三上晋「武井昭夫の文学批評と我が活動の原点」

村山章「戦後70年と地球人」

やすいゆたか「戦後70年歴史認識問題解決のために:歴史倫理学の提唱」

横井伸祐「戦後70年にあたって」

吉田智弥「60年安保と大定連」

和田龍三「戦後と三・一一後の科学技術論」

    

論文ほか

柴田隆行「フォイエルバッハの実践(5)カール・グリュンの理論と実践」

大藪龍介「日本ファシズム論()

松田博「グラムシとエンゲルス『政治的遺言』との関係についての覚書

 

Yuiken交差点

壱岐一郎「古田さんを悼む」

室伏志畔「古田武彦追悼」

鈴木正「狩野亨吉」

 

 

 

最新号出来!132号 2015年8月

132号目次

 

雄鶏VS

村山章 1万年の寿命に酔いしれて

 

特集 物象化論論争

リード(田畑)

 

佐々木隆治   物象化論と『資本論』第一部第一篇の理論構造

榎原均   利子生み資本における物象化

日山紀彦   マルクス「物象化論」の展開・序説 ─マルクスからルカーチまで─

高幣秀知  疎外・物象化論から再生産問題へ

細見和之  アドルノにおける物象化

永井務  物象化と精神医学

やすゆたか  マルクス物象化論の再検討に向けて―疎外・物化・物象化・物神性、用語の再整理

 

論文ほか

河井徳治  スピノザとその主著『エチカ』 

黒沢惟昭  現代市民社会とグラムシの教育思想

M.マナコルダ『グラムシにおける教育原理―アメリカニズムと順応主義』に学ぶ()

立花晃 CCJP理事渡辺智暁氏へのインタビュー調査(後半)

 

Yuiken交差点

鈴木正  唯物論者への提言

新藤謙  拾遺 石牟礼道子

木村倫幸  追悼 鶴見俊輔

 

書評

室伏志畔  吉本隆明未刊行講演集() 『日本的なものとはなにか』

木村倫幸  竹峰誠一郎 『マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる』

 

 

 

 

 

最新号出来!131号 2015年5月

131号「戦後日本の哲学者たち」目次


巻頭エッセー 

恒木健太郎 内田義彦の「信」――情報の氾濫のなかで生きぬくために 


特集 戦後日本の哲学者たち 

鈴木 正 古在由重方法としてのマルクスの思想」 

服部健二 梯明秀の「全自然史」の思想」

山本晴義 藤本進治さんと現在 

梅川邦夫 舩山信一の人間学と社会観(国家観)について 

若井貴史 主体性確立への道――三浦つとむ論 

友永健三 理性とヒューマニズムを基調とした森信成哲学と私 

藤田隆正 鈴木亨――響存哲学・存在者逆接空を創出した哲学思想家 

木村倫幸 上山春平論――不戦国家と『日本の深層文化』を中心に 

やすいゆたか 梅原猛――怨霊史観の可能性 

田畑 稔 生きる場の哲学の道――花崎皋平論 

日山紀彦 「事的世界観」と物象化論――廣松思想の企図するもの 


(3)論文ほか

大藪龍介 日本ファシズム論() 

黒沢惟昭 現代市民社会とグラムシの教育思想-M.マナコルダ『グラムシにおける教     育原理アメリカニズムと順応主義』に学ぶ() 

柴田隆行 フォイエルバッハの実践(4) 自然科学と革命 



Yuiken交差点

山田正行 川上徹氏を追悼して-アイデンティティとイデオロギーの交叉や交錯 

義積弘幸 私の『未成年』論激動のロシア史の一齣:第二部を読む(第3回) 


書評

石塚健 白川真澄『脱成長を豊かに生きるポスト311の社会運動』

130号 2015年2月

130号目次


巻頭エッセー 
鈴木正  いま「東亜協同体」の論議に思いをはせる

特集 ニッポン・イデオロギーの発信者たち:紹介・分析・批判 
木村倫幸 「誇り高く、美しい国」とは、戦争への途ではないのか?──櫻井よしこ
を批判する  
藤田隆正 長谷川三千子『からごころ』論 日本精神の逆説か、日本精神の弁証法か
 
高根英博 元祖ヘイト・スピーチ、小林よしのり『戦争論』
室伏志畔 消費社会の知の終着駅——渡部昇一論
森潤 戦後70年 の危機と転機 権力を監視し距離を保て
新藤謙 少年たちの心の闇—学童疎開の文学 
落合祥堯 西川長夫さんから学ぶもの——「国民という怪物」とはどういうことか
田畑稔 「戦後レジームからの脱却」をめぐる思想の対抗・覚書

論文
柴田隆行 フォイエルバッハの実践(3) エゴイズムの倫理 
立花晃 都市におけるオルタナティブな自律空間形成主体としてのクリエイティブ・
コモンズ——渡辺智暁CCJP理事インタビュー(上)

Yuiken交差点
矢板進「岡井隆論 第5回」
義積弘幸 私の『未成年』論—激動のロシア史の一齣—第一部を読む(第2回) 

書評
西川伸一 大藪龍介『国家とは何か—議会制民主主義国家本質論要綱』
捧堅二 大藪龍介『国家とは何か—議会制民主主義国家本質論要綱』
やすいゆたか 石塚正英著作選第1巻『フェティシズム—通奏低音』

129号 2014年11月

 季報唯研129号内容


●梟VS雄鶏 

河合洋尚「社会主義中国における宗教復興」

●特集「私の映画この一本」

リード(室伏)

日山紀彦 R・ブレッソン『抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より』1956年

木村倫幸 スタンリー・クレーマー『渚にて』1959年

綾目広治 黒澤明『わが青春に悔なし』1964年

石崎恵二 内田吐夢『飢餓海峡』1965年

やすいゆたか ゴダール『気狂いピエロ』1965年

矢板進 原一男『極私的エロス 恋歌1974』1974年

稲岡義朗 大島渚『愛のコリーダ』1976年

梅川邦夫 熊井啓『日本の熱い日々:謀殺・下山事件』1981年

田畑稔 小栗康平『泥の河』1981年

内藤酬 宮崎駿『風の谷のナウシカ』1984年

小嶋康生 原一男『ゆきゆきて神軍』1987年字  

和田龍三 張芸謀『紅いコーリャン』1987年

伊藤幸生 ルイ・マル『五月のミル』1989年

深江徹 アンジェ・ワイダ『ナスターシャ』1994年

丸山茂樹 羽田澄子『女たちの証言―労働運動の中の先駆的女性たち』1996年

立花晃 小栗康平『眠る男』1996年

細谷 実 マイケル・ウィンターボトム『ひかりのまち(WONDERLAND)』1999年

黒沢惟昭 降旗康男『ホタル』2001年

柏井宏之 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ『輝ける青春』2004年

村山章 HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%A0%AF%E5%8F%B2" \o "小泉堯史"小泉堯史『博士の愛した数式』2006年

岡和田晃 アラン・ロブ=グリエ『グラディーヴァ・マラケシュの裸婦』2007年

宮地達夫 キャスリン・ビグロー『ゼロ・ダーク・サーティー』2012年 

内田弘 アルフォンソ・キュアロン『ゼロ・グラビティ』2013年

友永健三 金聖雄『SAYAMAみえない手錠をはずすまで』2013年

西村好子 ビレ・アウグスト『リスボンに誘われて』2014年

島崎隆「最近こんな映画を見てきた」

武田信照「少年時代の映画体験」

藤岡寛美「乾いた情念、湿り気のある理性。あるいは溶解する固まり、救済される個

-キム=ギドク:園子温、ケン=ローチ:アキ=カウリスマキ作品への印象批評」

室伏志畔「席捲する「タラのテーマ」」

●論文その他

内藤酬「地球社会学の構想――地球共和国への道」

柴田隆行「フォイエルバッハの実践(2)―不死信仰の秘密を暴く」

小原耕一・松田博訳「グラムシ第4ノートにおける哲学関連草稿―「哲学メモ 唯物論と観念論 第1シリーズ」(4)」

●yuiken交差点

岸田秀「歴史を精神分析する」

鈴木正「「穏君子狩野亨吉先生」をめぐって」

義積弘幸「私の『未成年』論―激動のロシア史の一齣―第一部を読む(第1回)」

●書評

石和義之 岡和田晃『向井豊昭の闘争』

                              


128号 2014年8月刊!

128号目次

巻頭言 梟VS雄鶏 河村厚 顔と距離

百木漠・中川寧越責任編集
特集 若者の現在 働く・生きる・表現する

リード 中川寧越
百木漠 労働論からみた若者の現在
中川寧越 生政治のメインターゲットとしての社員
橋口昌治「若者の現在」とユニオン
一ノ瀬剛 我々の中の非対称な関係
松岡千紘 名もなき「問題」とイキヅラサ
山下耕平「生きづらい」って何でしょう
五明優介 若者の絶望感と実存感の調査
矢板進 詩人・文月悠光論とその周辺
中武題 若者と演劇
立花晃 我が国におけるクリエイティブ・コモンズ・ライセンス
    の受容とその可能性――都市に顕れる創造的空間を巡って
対談=若者論の交差をめざして 百木漠×中川寧越

論文など
柴田隆行 フォイエルバッハの実践(1)――ルーゲとの往復書簡から見えるもの
鈴木富久 松田博氏への応答―本誌一二五号掲載「リプライ(4?について―

yuiken交差点
鈴木正 自立した学び方――例えば梅本克己のことなど

書評
捧堅二 ベラミ/シェクター著『グラムシとイタリア国家』
木村倫幸 赤嶺淳編『グローバル社会を歩く――かかわりの人間文化学』
室伏志畔 岸田秀著『絞り出し ものぐさ精神分析』
 

 

 
 

最新号127号 2014年5月刊!

127号目次

 

梟VS雄鶏 

梅川邦夫「最近、思うこと」

 

特集 鶴見俊輔

特集リード(木村)

鶴見俊輔「嘘と私」

木村倫幸「鶴見俊輔と哲学思想・言語の改造」

新藤謙「今も続く日本の鎖国性——鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』」

神山睦美「鶴見俊輔のこと」

室伏志畔「転向期のアメノウズメ像——舞踊論」

高根英博「鶴見俊輔から学んだこと」

鈴木 正「鶴見俊輔さん ありがとう」

 

論文ほか

楊六金(中国紅河学院ハニ族アカ族研究所所長)

「ラオスにおける毛沢東思想の影響

——アカ族村落の事例から」(河合洋尚・阿部朋恒訳)

小原耕一・松田博編訳

「グラムシ「第4ノート」における哲学関連草稿

——「哲学メモ 唯物論と観念論 第1シリーズ(3)」

 

Yuiken交差点

矢板進「岡井隆論 第4回」

義積弘幸「教師失格者のおかしな夢」

 

書評

津田道夫 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡』

小野暸『文明〈後〉の世界』をめぐって

春名太一 逢軍 桜澤繁

 

最新刊126号 2014年2月刊!

126号 

巻頭エッセー 

平野真『山門』の絵画から「生きる場」という『掟の門』へ

特集「〈生きる場〉と哲学」

リード(田畑)

I論文

河上睦子「和食とイデオロギー」

平等文博「共に生きる」ということ

木村倫幸「生活世界から考える二つの視点

──鶴見俊輔・内山節・中村桂子を手がかりにして」

藤田隆正「人間の義務と市民の権利の基礎である承認関係の唯物論的基礎付け」

村山章「二次元時空の日常世界」

田畑稔「人間たちは生活する―生活論の展開」

IIエッセー

三上晋「高齢者とその介護者の気概――マンガ『ヘルプマン』より」

久保下多美子「生前契約」の受諾側にいて思うこと――パーソナルサポートになりえるか」

伊藤幸生「だめ連、その交流の生活と思想――「サラバ恋人、コンニチハ皆さん」

若井貴史「三浦つとむの認識論から見る認知療法の作用機序」)

佐野米子「平和教育へのおもい」

義積弘幸「幼児虐待とドストエフスキー」

論文ほか(予定)

柴田高好「近代国家、一考」

恒木健太郎『思想としての大塚史学』出版記念シンポ報告I~III

太田仁樹「『思想としての大塚史学』をめぐって」

山本圭「動員・民主主義・大塚史学」

恒木健太郎「中野敏男・山本圭・太田仁樹三氏の書評に応答する」

Yuiken交差点

島崎隆「特定秘密保護法・反対集会参加記」

平野啓「125号の「ヘイト・スピーチ」に関する2つの論文を読んで」

書評

稲岡義朗 高根英博『闘う仏教』

室伏志畔 奥野正雄『旧石器捏造』

 

 

 

 

 

 

125号

梟VS雄鶏 
稲岡義朗 見てしまった責任――水俣病と出会った医師・原田正純さんの生涯

 

特集「グローバル世界の現在をどう認識するか」
リード(田畑)
土佐弘之「食の脱領域化/再領域化をめぐって:グローバル・アグリフード・ガバナンスとの関連で」
斎藤日出治「自由主義の統治術と新しいコ―ポラティズム」
宇仁宏幸「転換期のアジア資本主義」
白川真澄「反システム運動の現状と課題」

 

論文その他
松岡千紘「ヘイト・スピーチについて―日本におけるレイシズムの隆盛とその背景」
吉田智弥「「ヘイトスピーチ」問題の周辺」
松本弘也「現代政治と共同闘争③」
新藤謙 海野十三の戦中日記――殉国意識と庶民意識
小原耕一・松田博編訳「グラムシ「第4ノート」における哲学関連草稿――「哲学メモ 唯物論と観念論 第1シリーズ」(2)」

 

Yuiken交差点
深江徹「ゴッホが愛した日本は、いま…」
矢板進「岡井隆論 第3回」
室伏志畔「谷川健一追悼」
松田博「「グラムシ討論」発展のために―鈴木富久氏の見解にたいするリプライ(最終回)」
鈴木正「「頭寒足熱」をめぐって」
義積弘幸「「リンチ事件」の思い出」

 

書評
中野敏男 恒木健太郎『思想としての大塚史学』
百木 漠 モイシュ・ポストン『時間・労働・支配──マルクス理論の新地平』
岡和田晃 神山睦美『希望のエートス 3・11以降』
尾場瀬一郎 松田博編訳『グラムシ『獄中ノート』著作集Ⅲ
               知識人とヘゲモニー「知識人論ノート」注解
                 イタリア知識人史・文化史についての覚書』

 

 

 

     

124号

 

124号目次

梟VS雄鶏

関口敦男「東日本大震災と福祉避難所」

特集「マルクスを読むPartII」

内田弘『デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異』(1841)――『資本論』形成史の出発点

捧堅二『ライン新聞』――共和主義の政治哲学 

荒川幸也『ヘーゲル国法論批判』(1843年)――マルクスのヘーゲル批判と反ドグマ主義

細見和之『ユダヤ人問題に寄せて』(1843年)――「非ユダヤ的ユダヤ人」マルクスの自己証明

 

田畑稔『パリ草稿』(1844年)――マルクス最初の経済学批判、最初の共産主義論

柴田隆行『聖家族』(筆1844)――批判的批判の批判における「批判」の意味

小松善雄『国際労働者アソシエーション創立宣言』ほか(1864など)――『国際労働者アソシエーション創立宣言』とモンドラゴン

太田仁樹『ゴータ綱領批判』(1875)――マルクス未来社会論とドイツ労働運動

平子友長『ザスーリッチへの手紙』(1881) 

論文その他

小原耕一・松田博訳「グラムシ「第4ノート」における哲学関連草稿――「哲学メモ 唯物論と観念論 第1シリーズ」(1)」

立花晃 クリエイティヴ・コモンズ運動におけるライセンスシステムを用いた対抗的公共圏の形成の試み

yuiken交差点

矢板進「詩人岡井喬」(2)

義積弘幸「自由・平等・友愛」論・覚書

書評

小原耕一 ダニエル・ベンサイド①『マルクス[取扱説明書]』②『未知なるものの創造 マルクスの政論』

木村倫幸 小宮山量平『映画は《私の大学》でした』大島幹雄『サーカスは私の〈大学〉だった』

佐野米子 横田ミサホ『原爆許すまじ』

室伏志畔 斎藤慎爾『周五郎伝 虚空巡礼』

中村隆志 河村厚『存在・感情・政治―スピノザへの政治心理学的接近―』

高根英博 白井聡『永続敗戦論――戦後日本の核心』

 

誤植訂正のお知らせ

124号のP146に誤植がありました。

グラムシ●「哲学メモ 唯物論と観念論 第1シリーズ」(1)

のP146、下段の訳注(1)の文章中の傍点が抜けています。

下記の案内にて、ご確認ください。

訂正して、お詫び申し上げます。

123号!

梟VS雄鶏
平等文博 大阪哲学学校の二十七年を振り返りながら
特集 敗北の日本——日本現代史における神話の解体に向けて 
[責任編集 恒木健太郎]
リード(恒木) 〈敗北〉の日本—日本現代史の「神話」の解体にむけて 
牧野邦昭 陸軍秋丸機関の活動とその評価 
小堀聡 原子力政策黎明期における「対米依存」の論理—経済企画庁原子力室阿部滋忠に注目して 
恒木健太郎 「超克」のときは何時か——戦争末期における大塚久雄の情報リテラシー 
藤井祐介 敗因と道義的生命力 ——高山岩男における力の概念 
白井聡 「恥ずかしい国へ」——「永続敗戦論」の現段階
論文その他
河村厚 スピノザとリアリズム国際政治学 
石塚正英・やすいゆたか対談「日本的霊性からネオヒューマニズムへ」(下)
松本弘也「労農派の二つの統一戦線論の研究(下)——現代政治と共同闘争② 
黒沢惟昭 三池闘争が照らす修羅の世界」(下)
yuiken交差点
新藤謙 輜重輸卒の眼——水上勉『日本の戦争』を読む 
深江徹 廃校跡地の文化イベントを観て
矢板進 蒼穹の蜜を味わう−岡井短歌より〈これから〉をのぞむ試み 
大藪龍介 松田博のコメントについて 
書評
鈴木 和雄 武田信照『近代経済思想再考----経済学史点描----』
木村倫幸 鈴木正『倚りかからぬ思想』
室伏志畔 添田馨『民族』

 

122号 

梟VS雄鶏

丸山珪一「ブダペシュト再訪記」1

特集「「スピリチュアル」の解明」

I エッセー

綾目広治「「スピリチュアル」に可能性はあるか」10

石崎恵二「汎神論の可能性」13

稲岡義朗「死者とは何か」16

梅川邦夫「H/D/ソローの自然観と霊性について」19

木村倫幸「スピリチュアルが流れる一つの河床(岩床)──『非国家神道』」22

高根英博「宗教によらず死に勝つ方法」25

田上孝一「マルクス的宗教批判の可能性と限界」27

内藤酬「現代科学の地平に甦る縄文の精神」31

永井務「山尾三省における批判的スピリチュアリティー」34

丹羽淳基「猫たちのクリスマス」40

丸山茂樹「世直し的復興の「実践の哲学」とスピリチュアル43

村山章「「魂」という世界モデル」46

義積弘幸「「スピリチュアル」をめぐって」50

米倉克良「スピリチュアルをめぐって・覚書」54

和田龍三「原発—“永久機関の夢の崩壊」56

II 論文

平等文博「意味空洞化の現代とスピリチュアル」64

本野一郎「スピリチュアリティとの出会い」74

橋野高明「キリスト教神学における霊・魂スピリチュアリティー」86

石塚正英・やすいゆたか対談「日本的霊性からネオヒューマニズムへ」(上)98

河合洋尚「中国客家地域における「霊性」と宗教景観の再生——広東省梅州市の都市部を事例として」110

島崎隆「スピリチュアルの問題点と可能性」121

藤田隆正「唯物論からみた「霊性」・「超越」・「尊厳」についての短い短いノート」130

田畑稔「「スピリチュアル」と「精神的生活過程」」136

Yuiken交差点

神村隆志 「大島渚追悼 『日本の夜と霧』再上映運動にかかわって」148

深江徹「ビレ・アウグスト監督『ペレ』心に残る一本の映画」152

 

松田博「大藪論文[季報・唯物論研ãÜ N.121Åi2012)]へのコメント154

横田ミサホ・大塚忠広 『横田三郎追悼文集』158

 

書評

室伏志畔 添田馨『樹羅森象』162

木村倫幸 金森昂作『時代の証言──協同・共生の道を求めて』166

捧堅二 柴田高好著『マルクス政治学原論』170


 

121号 2012/11 

梟VS雄鶏 服部健二 理性と情念  1
特集「スピノザ再読」  8
リード 藤田隆正  
上野修 ヴェイユとスピノザ—酷薄の哲学のための覚書  10
藤田隆正 スピノザにおける欲望と人権  16  
石崎恵二 無力感をどう克服すべきか——スピノザ『エチカ』に学ぶ——  30
小特集 唯物論研究会結成80周年  36 
リード 藤井祐介 
藤井祐介 党派性と形態——唯物論研究会創立前後——  38
佐藤洋 大熊信行の映画論の生成 「まるめら」の陽光のしたで  46
柴田大輔 『唯物論研究』における文学理論と創作実践とのつながりについて
——新島繁の活動を軸に——  65
論文など
大藪龍介 グラムシ「陣地戦」と「政治社会の市民社会への再吸収」をめぐって 78
松本弘也 『労農』派の二つの統一戦線論の研究(上)——現代政治と共同闘争① 98  
黒沢惟昭 三池闘争が照らす修羅の世界  108
     熊谷博子著『むかし原発いま炭鉱——炭都「三池」から日本を掘る』を読む(上)
Yuiken交差点
丸山珪一 ひきつづくハンガリーの思想抑圧
     ——「哲学者狩り」とルカーチ・アルヒーフの「解体」—— 122
深江徹 フォトジャーナリズム誌に思う—DAYS JAPANを読みながら考えたこと— 126
新藤謙 佐多稲子の文体—『私の東京地図』における」— 128
義積弘幸 私の目指す三つの言葉 アソシエーション・グローカリズム・単独者  132
書評
金鐘八 藤田友治/伊ヶ崎俊彦/いき一郎編著『ゼロからの古代史事典』 138
木村倫幸 本野一郎『有機農業による社会デザイン——文明・風土・地域・共同体から考える』 141
やすいゆたか 松尾匡『新しい左翼入門—相克の運動史は超えられるか』144
添田馨 橿日康之『織姫たちの学校—大阪府立隔週定時制高校の40年』148
藤岡寛己 高根英博『斃れざる人々2 アントニオ・グラムシ』152
尾場瀬一郎 アントニオ・ラブリオーラ『社会主義と哲学──ジョルジュ・ソレルへの書簡』 156

120号 2012/8

梟VS雄鶏 

高根英博 斃れざる人々 分裂するイメージ

 

特集 マルクスを読む Part1

 

リード(田畑)

 

佐々木隆治『フォイエルバッハ・テーゼ』(1845年)

経済学批判の跳躍台として読む 

 

渡辺憲正『ドイツ・イデオロギー』(1845̃〜46年)

自己関係視座から『ドイツ・イデオロギー』を読む

 

的場昭弘『共産党宣言』(1848年)

グローバル資本主義とその限界の話

 

西川長夫『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』

再読、あるいはボナパルティズムについての私的な回想 

 

内田弘『経済学批判要綱』(1857̃〜58年)

マルクスは『経済学批判要綱』で資本主義をいかに把握したか 

 

植村邦彦『経済学批判』序言(1859年)

人間の社会と歴史についての一考察 

 

大谷禎之介『資本論』(第1巻初版1867年)

「現代社会」の変革のための「資本の一般的分析」

 

日山紀彦『資本論』(第1巻初版1867年)

『資本論』における物象性と物神性の批判的剔抉

─〈価値〉・〈価格〉・〈利潤〉カテゴリー批判を基軸にして

 

大黒弘慈『資本論』(第1巻初版1867年)

資本の統治術

 

宇仁宏幸『資本論』(第1巻初版1867年)

『資本論』における賃金論──相対的窮乏化論からの脱却を中心に

 

大藪龍介『フランスの内乱』(1871年)

近代社会・国家の革命的変革構想の到達地平 

 

石塚正英『古代史、人類学研究抜粋ノート』(1879̃81年)

モーガン・バッハオーフェン・ド=ブロスに学ぶ 

 

Yuiken交差点

深江徹 ワイダ監督《ナスターシャ》成立の過程

 

書評

藤田隆正 細谷実『よく考えるための哲学』

木村倫幸 ドナルド・キーン『日本人の戦争──作家の日記を読む』

山本圭 西角純志著『移動する理論―ルカーチの思想』

 

 

119号 2012/5

梟VS雄鶏 木村倫幸 原発事故と『みえない雲』  

特集 小原耕一、松田博、田畑稔責任編集「グラムシと「知的モラル的改革」」

 リード(田畑)

第1部 グラムシの「知的モラル的改革」論

小原耕一 グラムシと「知的モラル的改革」運動にかんするノート 

松田博 ヘゲモニー論の展開と「知的モラル的改革」にかんする覚書 

田畑稔 グラムシ「実践の哲学」と「知的モラル的改革」」(上) 

第2部 グラムシ『獄中ノート』の「知的モラル的改革」関連テキスト

① 第5ノート第50草稿B稿 日本文化についての覚書 小原耕一訳 

② 第8ノート第87草稿 日本文化についての覚書 小原耕一訳 

③ 第10ノート第2部第41草稿の〈1〉 

クローチェにかんする試論のための参照点 小原耕一訳

④ 第11ノート第12草稿 哲学と文化史の研究への入門および序論のためのメモ 

Ⅰ.幾つかの予備的参照点 小原耕一訳 

⑤ 第13ノート「マキャベリ政治学ノート」第1草稿 松田博訳 

⑥ 第14ノート第26草稿 イタリア文化覚書。イタリアにおけるプロテスタンティズムその他について小原耕一訳

⑦ 第16ノート第9草稿B稿 実践の哲学の発展の研究のための幾つかの問題 小原耕一訳 

⑧ 第19ノート第5草稿 リソルジメントの諸解釈 東京グラムシ会獄中ノート研究会訳 

⑨ 第21ノート イタリア国民文学の諸問題Ⅰ.民衆文学 第1草稿 諸問題の脈絡 小原耕一訳 第3部 関連ドキュメント

プルードン『革命における正義と教会における正義とについて―実践哲学の新しい諸原理』(1858年)「目次」と「概観」小原耕一訳 

Yuiken交差点

鈴木正 グラムシ読みの素朴な問いかけ──唯物論めぐって── 

室伏志畔 吉本隆明追悼──〈知〉の退行に抗して── 

論文など

大藪龍介 北山峻「『明治国家論』の新機軸」へのリプライ 

堀本秀生 マルクスの唯物論をいかに活用するのか  

書評

木村倫幸 木村勲『「坂の上の雲」の幻影──“天才”秋山は存在しなかった 』 

田中 収 鈴木正『狩野亨吉と安藤昌益』 

 

 

118号 2012/2

梟VS雄鶏 捧堅二「ニュー・レイバーからブルー・レイバーへ」

特集 現代アメリカ社会(永井務責任編集)

リード文(永井務)

瀬戸岡紘「アメリカ建国の理念にみる市民の共同社会を再考する」

永井務「D.ベルとN.チョムスキー」

萩原伸次郎「リーマン・ショック後の米国における経済危機とその行方

      ──危機はなぜ繰り返されるのか」

牧野広義「サンデルの公共哲学について」

本田浩邦「ベーシックインカムの可能性──アメリカにおける普遍的所得保障」

木村倫幸「アメリカと「土法」としてのプラグマティズム──鶴見俊輔の視点から考える」

仲島陽一「アメリカと共感の問題」

Yuiken交差点

深江徹「タルコフスキイの眼―『タルコフスキイの映画術』から」

平井良典「イラク帰還兵アッシュ・ウールソンさん講演会レポート」

書評

室伏志畔 古田武彦『俾弥呼』

斉藤日出治 黒澤惟昭『生涯学習論の磁場』

 

 

117号 2011/12

VS雄鶏 藤田隆正 アンリ・ベルグソンVS西田幾多郎、そしてサルトル、戸坂潤

特集 大衆娯楽文化と左翼運動

鈴木 正 大衆文化・娯楽と左翼――真理と真情を一つに――

小寺正敏 幻視の楽土―中里介山における民衆と国家

北崎豊二 倉橋仙太郎と新民衆劇(第二新国劇)

添田 馨 演歌史という思想――添田唖蝉坊『流行歌明治大正史』

藤井祐介 非常時の構想力――『世界文化』と学生文化――

永井芳和 無・頼・派・の・世・界―織田作之助の場合

室伏志畔 お笑い作家の誕生 ―長沖一と秋田実―

佐藤 洋 今村太平の除名問題について―映画理論史のために―

yuiken交差点

深江徹 報道写真家の眼差し―カルティエ=ブレッソン著『こころの眼』再読―

平井良典 福島原発事故を考える―稲岡美奈子さんの講演を聞いて

 論文他

高嶋正晴 グラムシアン・グローバリズムにみる「ポスト現代の君主」論―グローバルな有機的危機と世界秩序変革―

鈴木富久 「唯物論」問題とコミンテルン問題――グラムシ論拙著『学的構造』への松田博氏「リプライ」に応える――

佐々木隆治 マルクスの唯物論とはなにか――初期の著作および草稿の検討をつうじて(下)

書評

恒木健太郎 植村邦彦『市民社会とは何か――基本概念の系譜』

白井聡 福本和夫『福本和夫著作集』第1巻、第2

北山峻 大藪龍介『明治国家論』    

鈴木敏正 鈴木富久『アントニオ・グラムシ』

 

116号 2011/8

vs雄鶏 やすいゆたか 哲学ファンタジーの試み  

 特集 IT革命と情報資本主義  (リード文 田畑稔)

北村洋基 情報資本主義の歴史的位置と意義  

野口宏 ICT革命の歴史的意味をいかに把握するか  

山本泰三 コミュニケーションの動員——認知資本主義論についてのノート

倉橋克禎 ITとアクチュアリティについての試論——階層構造からネットワークへ  

村山章 知識と労働  

 レポート 関口敦男 東関東大震災―北茨城から  

Yuiken交差点 深江徹 タルコフスキー著『映像のポエジア』再読  

森潤 [メディア時評7] 震災と原発の教訓伝え、再生への情報を。想定外だった「3.11」報道

倉橋克禎 エジプト旅行顛末記 唯物論的批評3 

 論文他

 小原耕一 「実践の哲学」と現代―グラムシ生誕百二十年を記念して(下) 

松田博 グラムシとラブリオーラ(2) 104

佐々木隆治 マルクスの唯物論とはなにか-初期の著作および草稿の検討をつうじて(上) 

ウエイ・シャオピン 史的唯物論再考(下)  

 書評

○毛利敏彦 大藪龍介『明治国家論』  

○捧 堅二 鈴木富久『グラムシ『獄中ノート』の学的構造』  

○鹿島徹 神山睦美『小林秀雄の昭和』  

○木村倫幸 リュック・フォリエ『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』

 

 

  

115号 2011/3

梟VS雄鶏 破偈否偈弥亭徹さんこと中村徹さん、有難う――追悼集会での発言より●捧堅二 

●恒木健太郎 ●村山章 ●田畑稔 ●藤田隆正 ●高根英博 ●やすいゆたか ●山口協 

●平野真
特集▼グラムシ生誕120年 松田 博 リード文
小原耕一 「実践の哲学」と現代 ―グラムシ生誕百二十年を記念して(上)―
田畑稔 ラブリオーラは「哲学」に対するマルクス/マルクス主義の関係をどう見たか
松田博 グラムシとラブリオーラ(1)
大藪龍介 グラムシの「国家=政治社会+市民社会」をめぐって
山根献 実践の哲学における「市民社会」の発見 ―ボッビオとサイードの場合―
斉藤日出治 歴史記憶の組織化をめぐるヘゲモニー闘争と植民地主義
伊藤晃●反天皇制運動と二〇世紀マルクス主義  
谷本純一●グラムシと新自由主義 ―「自由競争」は存在するか?―
黒沢惟昭●「新しい社会形成」への道を求めて―グラムシ再考
丸山茂樹●グラムシと石堂清倫の研究深化のために
yuiken交差点 深江徹 溝口映画のリアリズムに関する覚書
論文他

小野暸 市場経済と資本主義経済(下)―資本主義「後」の世界(4)   
横田三郎追悼 横田三郎略歴および執筆リスト
書評 室伏志畔 新藤謙著『石牟礼道子の形成』

 

 

 

114号 2010/12

VS雄鶏 「アソシエーション革命」の視点から特集リードにかえて   田畑 稔  

特集 アソシエーションの理論と実践Part4  

柏井宏之 日本における社会的企業の現在―社会的排除をなくす「社会的事業所促進法」を  

吐山継彦 討議体&学習コミュニティとしてのアソシエーション 

       ―「なんだいべ」と「ボラ協」での体験から―

境 毅 「いま」「ここ」からの社会変革論  

阿部文明 『アソシエーション革命宣言』と現代  

メディア批評6

森潤 天災と人災に打ち勝つ知恵と勇気―ー過去に学んで未来に導く使命 

Yuiken交差点

深江徹 ユージン・スミスについて 

鈴木正 「実践の哲学」の迫り方―A・ラブリオーラをめぐって― 

論文など

島崎隆 『経済学批判』「序言」における史的唯物論の「公式」について 

魏小萍(ウエイ・シャオピン) 史的唯物論の理論再考(中)

小野暸 市場経済と資本主義経済(上)―資本主義「後」の世界(3) 

横田三郎追悼(リード田畑) 山本晴義 追悼・横田三郎さんのこと  

藤田隆正 マルクスの自然概念と風土的自然(完) 

唯物論的自然と絶対矛盾の論理 

書評

恒木健太郎 内山節『共同体の基礎理論――自然と人間の基層から』 

捧堅二 土居充夫『第3の道序説』 121

木村倫幸 小澤卓也『コーヒーのグローバル・ヒストリー』、赤嶺淳『ナマコを歩く』 

添田馨『越境としての古代[8]134

前田幸男 ロナルド・マンク『現代マルクス主義のフロンティア』

 

113号 2010/8

VS雄鶏 丸山珪一 甦るルカーチ ―生誕一二五周年に寄せて 

特集 恒木健太郎責任編集 「ウェーバーの超え方」 

リード文 恒木健太郎 

松井克浩 ヴェーバー「社会理論」の可能性 ―支配の「正当性-諒解」論を手がかりに     捧堅二 ヴェーバー権力概念の諸要素 

鈴木富久 政治の「侍女」から経験科学の学的自立形態へ ――ウェーバー「客観性」論文の意味――

佐野誠 ヴェーバーと「人権起源」論 ――イェリネック『人権宣言論』を前提として 

恒木健太郎 大塚久雄の「誤訳」――『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾をめぐって―― 

高根英博 「近代=モダン」とは何か―ウェーバーの「魔術からの解放」から考える 

 メディア時評5 森 潤 祈りと鎮魂の「8月ジャーナリズム」

 

 論文など

小野暸 資本主義「後」の世界 ――「個人的所有の再建」の現実的可能性(2)

松田博 グラムシと「唯物論」問題 ――鈴木富久氏の見解にたいするリプライ(3) 

日山紀彦 現代知識論の哲学的課題(下)

魏 小萍 史的唯物論の理論再考(上)

 書評

三宅一郎 石黒英男著『ブレヒト案内――介入する思考』

尾場瀬一郎 ラブリオーラ著 小原耕一・渡部實訳『思想は空から降ってはこない―新訳・唯物史観概説』

藤田隆正 飯嶋廣・阿部文明・清野真一著『アソシエーション革命宣言[協同社会の理論と展望]』

瀬尾育生 添田馨著『吉本隆明――論争のクロニクル』

 

 

 

 

112号 2010/5

VS雄鶏 森潤「崩壊か劣化か メディアの危機」

特集「知識論の現在―日常知、技術知、科学知、哲学知」

 

佐々木力 マルクス主義科学技術論

日山紀彦 現代知識論の哲学的課題

大塚善樹 環境科学の社会的・物的転回について

村山章 知識論の構築に向けて

田畑稔 日常知、技術知、科学知、哲学知―4つの知の分節化と相互移行について・覚書

論文ほか

小野暸 資本主義後の世界―「個体的(個人的)所有再建」の現実的可能性(1)

ウエイ・シャオピン 史的唯物論の理論再考(上)

大藪龍介 明治国家論(11) 

山田正行 日本イデオロギーにおける和辻哲郎の位置―広松渉との関連に即して

松田博 グラムシのコミンテルン認識―鈴木富久氏の見解によせて(2)

鈴木正 憲法の礎柱を立てた金森徳次郎(下)―私の日本国憲法第9条「お守り袋」(3)

藤田隆正 マルクスの自然概念と風土的自然(3)

Yuiken交差点

○深江徹「「マグナム」という写真家集団―ラッセル・ミラー著『マグナム―報道写真半世紀の証言』を読んで

倉橋「美・批評」3

書評  

尾場瀬一郎 ラブリオーラ『思想は空から降ってはこない―新訳・唯物史観概説』同時代社

平野喜一郎 モスト、J.『マルクス自身の手による資本論入門』大谷禎之介訳、大月書店

石塚正英 津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴り方運動』

木村倫幸 鈴木正『九条と一条―平和主義と普遍的妥協の精神』農文協

 

 

 

111号 2010/2

VS雄鶏 梅川邦夫「老いの疎外」

特集1「疎外論の復権に向けて─二一世紀の疎外論」

リード (やすい) 

やすいゆたか「疎外論とネオ・ヒューマニズム」

松尾 匡「『「はだかの王様」の経済学』の疎外論」

田上孝一「マルクス疎外論の可能性と限界」

黒沢惟昭「自分史の中の疎外論」

特集2「この一冊」Part 

捧 堅二 エピクロス『エピクロス――教説と手紙』――自由とエチカ 

やすい ゆたか『新約聖書』―もっともスリリングな一冊

藤田隆正 スピノザ『エチカ』―環境倫理の視点からスピノザ『エチカ』の再生を

大藪龍介 マルクス『資本論』―私の理論的原点

梅川邦夫 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』―カタストロフィーに向かう人間

小原耕一 アントニオ・ラブリオーラ著『唯物史観概説』――「社会革命の理論」として読む

尾場瀬一郎 ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』―親和から違和への途上で

木村倫幸 三木清『人生論ノート』

倉橋禎克 アドルノ『新音楽の哲学』―アレゴリーとして読むこと

岩淵慶一 ルカーチ『理性の破壊』

柴崎律 フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」― ソ連崩壊へのターニングポイント

永井 務 G.ガーベル『虚偽意識論』と木村敏『時間と自己』

石崎恵二 森信成『マルクス主義と自由』―わが思想の骨格

津田道夫 内田義彦『社会認識の歩み』

宮前泰雄 森信成『唯物論哲学入門』

内藤酬 広重徹『科学の社会史』――科学批判の原点

田上孝一 シンガー『実践の倫理』

鈴木正 丸山真男『忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相』

稲岡義朗 平雅行『日本中世の社会と仏教』――法然以上に法然らしい法然

黒沢惟昭 上野朱『蕨の家・上野英信と晴子』

米田祐介 石塚正英『歴史知と学問論』―それでも今日、「朝日が昇る」

論文ほか

松田 博「グラムシ-コミンテルン関係にかんする覚書-鈴木富久氏の見解によせて」

書評  

松田博 ティルゲル、A.『ホモ・ファーベル――西欧文明における労働観の歴史』小原耕一訳

室伏志畔 兼川晋『百済の王統と日本の古代』